京都弾丸ツアーたまには考察もいいかもの巻2

足利義満さん、金閣寺のギラギラ成金男と思っていましたよ、
でも、調べてみるととんでもない指導者、
ひょっとして宇宙人というくらいすごい奇跡を連発して
あれだけの地位と財をもたらしたことを知ってしまい
その検証に行ってきました。


義満さんといえば金閣寺で有名、
なので先ずは金閣寺
この金閣寺の資金はといえば
当然明との貿易で得た利益だと思っていましたが
実は金閣寺は明との勘合貿易の取り交わし『臣下の礼』の舞台、つまり貿易が始まる前からあったのですね、
で、元手はそれまで天皇の資金源となっていた商人からの税収入の全てを義満が独占することによって得ることができたと言われています、
なぜそんなことができるかといえば、この時義満はいわゆる『日本国王』になっていたから、名だたる寺社の人事権や天皇の継承権も持っていたそうです。


義満さんが三代将軍になったのはわずか10歳の時、
その頃は南北朝の争いが続いていて世は荒れていて武士は盗賊に成り果て、
公家に年貢も上がってこない状態が続いていてそりゃもう大変、
そこで義満さんは政権交代が行われて国交を求めている明との交易を考え、
使者を明に送ったそうな、
だけれど断られちゃった、
義満は『日本国王』とは認めてもらえなかったそうな、


そこで義満は思った、日本の国王になってやる!


先ずは国内の統一、
けれど資金のない幕府は地方勢力と大して変わらない力、
なので地方勢力同士を戦わせて弱小化させるという卑劣?な手段を用いて
勢力を拡大していくのでした、


九州制圧に乗り出した時に九州を治めていたのが懐良親王後醍醐天皇の王子です、
実はこの人こそ明に日本国王と認められた人で
明は頭を悩ませていた海賊、倭寇対策として国交を結びたがっていましたが、
それまでは明に臣下の礼を取ることを拒否し、国交は結ばれていませんでした、
しかし懐良親王は義満の勢力に対抗するためには明の兵力が必要と考えて
明と国交を結ぶ決心をするんだけれど
臣下の礼を行うために明の使者が大宰府に到着したとき
大宰府は義満の軍勢に制圧されていて
懐良親王側に明の兵力が加わることは夢と消え、
義満にしてみれば間一髪という出来事でした、


これよりさらに明との交易を結ぶため国の統一に万進していきます。


そして南北に分断されている朝廷の統一、
そのために公家に見方を作らなければならないので
領地をガンガン与えたり、昇進のための推薦状を連発したそうな、
そして南朝の勢力が弱った隙をついて
南北朝は無事に統一を果たすことができました、
その統一の場がここ大覚寺(当日は節分祭)


「何だかわららないけれど…〜」「いつまでやっているのか…〜」
って、お経の切れ間に絶対に言っていたよ。


それだけで終わらないのが義満のすごいところ、
これ以降天皇の継承権を天皇から奪い、
現在と同じような象徴天皇制を確立しちゃった、


さらに朝廷統一のお祝いの席で
ついに天皇しか上がれない繧繝模様のへりの畳の上に座っちゃった
(小子房で見たやつね、今でも宮中行事天皇が上がっているところ)
その行為に天皇も公家も名高い坊さんも誰ひとり文句を言う人はいなかったそうな、
ここで義満はついに日本国王に上り詰めちゃったのね、


さあ、明との貿易、国交を結ぶ時が来ましたよ、
北山山荘も建てちゃうよ、
明も政権交代があって国交を結びたがっているという情報が入ってきました、
すぐに使者を送ります、
ここまで20年あまり本当に頑張りました、


明もすんなり義満を日本国王と認め親書とともに使者がやってきます、
ここで最後の大仕事、
『臣下の礼』です、
明との交易を行うためには明の配下になるという儀式『臣下の礼』をクリアしなければなりません、
これは送られてきた親書を北側に置いてそれに向かって土下座を五回するというもの、
この行為に対しては明の配下に入るとはなにごと!と国内では強い反対にあっていました、
そこで義満は自分が北側に位置し親書を南側に置き、土下座を三回行ってこの儀式をクリアしたそうな、
立ち位置の変更と土下座の数の変更、
実は三回の令というのは仏教的儀式で行われるもので、
義満は『臣下の礼』を政治的な儀式から仏教的儀式にすり替えることで国内の反発を抑えることに成功しました、


しかし、なぜ明の使者はデフォルメした『臣下の礼』でOKを出したのでしょうか、
ひとつは義満の接待がかなり巧妙だったこと、
使者を門前までお迎えしたり
観光させたりご馳走攻めしたり、
そしてあの金閣もその演出の一つではないかと思えるのです、

不動明王の開扉法要も今日でした


金閣は三階建てで一階が寝殿造り、つまり公家の住まいです
二階が書院造で武士の住まい、
そして三階が唐風、当時の中国の建物
つまり最上階に中国を持ってきているのです、
さらに金閣の南側に見下ろせるのは日本をかたどった葦原島
つまり中国が最上位であることを表しているように見えるのです、


最上階を中国風にしてあるのは義満が出家していて仏門が最上位にあることを表しているというのが一般的なお話ですが
彼がそれだけのことで1000億円を投じたとは到底思えないのです、
20年に及ぶ明との貿易争奪作戦、
(その間、結構偽物は貿易していたらしいけれど)
金閣勘合貿易を手に入れる最後の切り札だった、
そしてここは彼の一斉一代の勝負の場所となったと思えるのです、
(誰もそんなことは行っていません、私の勝手な思い込み)


『臣下の礼』の後、親書を二通持った使者が海を渡ります、
どうも明で内戦が起こっているらしいという情報を得て
どちらが政権を握っていても大丈夫なように
手はずを整えていたそうです、


そして使者は100通の勘合を手に戻り、
その後室町幕府勘合貿易により莫大な利益を上げ、
義満はバブリーな金ピカ坊主?に
いやいや、やっぱり義満さんは宇宙人だったかもしれない…


ちなみにお昼は中村軒のお雑煮、みたらし、麦手餅、焼き草餅のもち三昧

たまにはこんなツアーもいいかな、
歴史の知識はとっても浅いけれど、
思い込みも勝手だけれど
人の思いは感じることができた気がします。