AJ

久しぶりに見たAJの掲示板が騒がしいです。
AJのジャージを作るとか作らないとか、会長が会の金で勝手にやったとかどうとか。
あまり興味がないことだけれど、会に金が余っているのなら、その金でブルベを開催している各地のスタッフの人に、良い温泉に入って旨いもん食ってもらいたい、そんな気分です。

そもそも私はAJジャージを作るのはまだ早いのでは?と思っています。

AJが行っているブルベって社会的に認められているイベントなのかな?って私は疑問に思っているのです。ブルベの仲間意識って私が昔やっていた『峠族』と非常に似ていると思うのです。『峠族』は社会的に悪とされていましたが、信号は守りますし、民家のあるところでは徐行する、当然歩行者がいても徐行、そんな自分本位のルールの中で限界までエンジンをまわし、加速のためにスリップを多用し、自分の腕の限界までコーナーを攻めていた。そんな族に「サーキットでやれ!」と社会は拒絶してきました。

ブルベはどうでしょう。睡眠不足と体力の限界近くまで追い込んだ走行やコーナリング、車の渋滞を路肩を使ってすり抜ける行為、さらにドラフティングのため車間をほとんど取らず長く連なった車列を生む集団走行、どれをとっても道路を使って生活の糧を得ている人々にとっては「公道で遊ぶな!」って言いたくなることだと思います。

『峠族』はサーキットに場を移し『D-1』として市民権を得ることが出来ました。ブルベもクローズドサーキットに走る場所を移せば即市民権を得ることが出来るでしょう。でも、それは私たちが走りたいブルベではなくなってしまうのではないかと思うのです。

今、私がAJ幹部に望むことは、現状のブルベの開催形式でいかにして社会的な認知を得るか、それが一番だと思うのです。

私は現状で『AJ』と書かれたジャージをまとった自転車が集団走行をすることが市民権を得るためにプラスになるとは決して思えないのです。同じカラーリングの峠族が延々連なって走ってきたら恐怖じゃないですか、それに近いものがあると思うんです。

掲示板もそう、公にがたがたやっている組織に市民権などあるわけがありません。口論を否定しているのではありません。幹部同士大いに議論していただきたいと思います。ただブルベのことを考えているのなら違う形でやり合えるのではと思うのです。

昨年ブルベに参加して、走行中沢山の拒絶を受けました。また走行中、走り続ける事に社会的な罪悪感を抱き、路肩に何度も停車しました。そんな中、それでも走り続けたのは単純に私が自転車が好きなこと、さらに私を駆り立ててくれたのは、間違いなくブルベを支えていたスタッフの方々の情熱だったと思います。

私はあの方々の情熱が続く限り、現状に近い形できっと市民権を得ることが出来る日が来ると信じています。