足利尊氏さん

京都の等持院に行って尊氏さんのお墓がひっそりとされていて
いろいろ調べてみたら逆臣とか言われて
戦前は裏切り者の最悪な代表とみなされ
時代祭でも室町時代の行列はなかったそうな、


で、さらに調べてみると、
彼は何事もなくひっそりと暮らしていたかったのかもしれない
と思うようになってきて、
やたら野心丸出して戦っていたのではなくって
しょうがなくって戦っていたって言うことが見えてきて
人の人生って面白いものだなあってあらためて思ったりして、


後醍醐天皇鎌倉幕府を倒すために六波羅探題を制圧したのも
後醍醐天皇と戦うことになったのも
弟直義と戦ったのも
みんな成り行き上仕方なかった感じ
本当はやりたくなかったみたいなんです、


それと、後醍醐天皇崩御後、尊氏は怨霊に悩まされ、
たたりで疫病が京都に蔓延したため
後醍醐の御霊を鎮めるために天龍寺を建てたって言われているけれど
彼はやっぱり後醍醐天皇のことが好きで、
本当に悲しくって安らかにという思いで
天龍寺を作ったらしいことが分かってきていて
また、尊氏の本当の名前は高氏なんだけれど
後醍醐天皇の本名の尊をいただいて尊氏としたそうで
死ぬまでその名前を戻さなかったことからも
彼の思いが感じられると思うのです。


それと、自分が学校で習っていた源頼朝肖像画
どうも弟の直義らしくって
さらに尊氏と言われていた馬に乗った武将の肖像は
弟の直義と戦ったきっかけを作った○○さん???という武将らしいです、
歴史ってどんどん変わっている感じです。