PBPツアー6日目

ブレストの食事はライスのポークのワイン煮、タルトタタン×2、ミネラルウォーター、
食堂の端にはレスキューシートに包まった人々がゴロゴロ目立ってきました。
そんなこといっている自分もスプーンを持ったまま寝てしまったよう、
一時間近く眠りこけていたみたいで、スプーンを持っていた右腕が攣っていました。
結局1時間30分ほど休憩して出発です。


やたらに広いブレスト市内の坂を駆け下って、徐々に道が細くなるとまたしても単調な一本道、
すぐに睡魔が襲ってきました。スピードは10km/h台に落ち、蛇行も目立ってきました。
往路に合流しても眠気は酷くて、街中の宴会場だったテントのベンチで眠ることにしました。
腰を下ろし目を閉じると、タイヤが石畳をたたく音やフリーの音が心地いい、
すぐに意識を失ったようで目が覚めるとしっかり一時間眠ってしまったようです。
周りを見渡すと同じように眠っている参加者が数名、皆かなりお疲れモード、
正直、今まで参加したブルベで二番目に消耗しています。
一番消耗したのは今年の埼玉600km、100km地点で脊椎間狭窄症の発作が出て、
残り500kmは痙攣との戦いでした。
それに比べれば疲労感はまだまし、まだ大丈夫です。


走り始めると、対向にだんだん遭う様になってきました。
90時間クラスの方々でしょうか、抜かれるのも時間の問題でしょう、なんてかなり弱気になっています。
けど、対向に遭うようになってから眠気がなくなってきました。
スピードも回復してきて、遠ざかるばっかりでしたテールランプがどんどん近づいてきます。
フォローの風にも乗って足を止めて下っている前走者を50×11でぶち抜きはじめました。
暗くて全く分りませんがおそらく草原の中のだだっ広い道、かなり強めに追い風が吹いていてストレスなく飛ばせました。
いったん離れた往路と合流して、再び街への上りにかかりますが、いつものようにシフトアップしてダンシングで上がります。
約2kmほど続けたダンシング、おそらくこんなに長くダンシングしたのは初めてでしょう。
再び戻ってきたPC7カレ ブルーゲ(669.0km)夜もすっかり明けた午前7時30分到着でした。


ここではアップルパイ×2、バナナ、コーヒー(不味くて目が覚める!?)、コーラ、の食事、
この時間、ここのコントロールは90時間の参加者と重なってかなりにぎわっていました。
食堂の隅には仮眠を取る人が多数いましたし、周りに日本人はいないかと探しましたが見当たりませんでした。


30分の休憩、チェーンにオイルをたらしてルディアックに向かいます。
ここからは上り傾向、風も向かい風です。しかし雨は上がっているもようです。
走り始めてすぐにじんじんさんとY田さんと対向、二人とも元気そう、
その後次々と日本人と対向します。
というか大量の90時間の参加者と対向しました。
その様子は圧巻で、次々現れる大集団に感動で涙腺が緩んでしまいました。
ほとんどの日本人が上手く集団に埋没していて、いい感じで走っているように見えました。
「みんな、がんばれ…」思いは皆一緒だと思います。


この区間は本当に舗装の状態が悪く、ちょっとした油断でお尻の皮をついにむいてしまいました。
でも、700kmあたりでむけるのはいつものことなので、この雨の中良く持ったほうかも知れません。
まあ、けつの痛みがいい眠気覚ましになるかも知れませんし。


ルディアックまで後10kmほどの所からまた雨が酷く降ってきました。
雨はどんどん激しくなってくる一方なので
ルディアックのチェックを受ける前にサポートバスによって雨宿りをすることにしました。
バスに着いたのは午前11時過ぎだと思います。
応援隊の方々との日本語の会話は気持ちが安らぎます。
皆さんがここにいてくれるだけで力を分けていただけます。
いつものようにライトとヘッドライトとGPSの電池交換、地図の交換、チェーンの注油、クランクボルトのまし締めを行ってから、
バス内で羊羹を食べながら着替え(アンダー交換、ジャージをAJジャージに交換、ビブ、靴下も交換)
おけつにはシャーミークリームと抗生物質軟膏を大量塗布、
ボトルには水1L、コーラ0.5L入れて、
補給食はパワーバー3個、一口羊羹3個、卵饅頭3個、カロリーメイト2袋、アミノバイタル4袋を持ちました。
作業をしながらリタイアされた方々の話を聞いてかなりショックを受けましたが、
逆に自分は最後まで走り続ける気持ちを強くすることができました。
相変わらず効率が悪くてさらに雨の中なので一時間ほどかかってしまった作業の後に30分ほど椅子に座って仮眠、
目が覚めると応援隊の方々に挨拶もしないでコントロールに向かいました。
(応援隊の方々本当に失礼しました、とっても感謝しています)


PC7のルーディアック(770.5km)には12時24分に到着しました。
やはり羊羹だけでは足りなくて食堂に入って、タルトタタン(またまた)とパンオショコラとコーヒー(激不味!)をチョイス、
ついでに30分椅子の上で仮眠しちゃいました。


結局走り始めたのは午後1時15分ごろ、変な仮眠の取り方をしたせいか、
最初の森の中の緩い上りが上手くペースに載せられません。
しかし両側が牧草地帯になると調子が上がってきて、前方を走る参加者を一組、また一組と捕らえていきます。
雨も上がりました。
ふと路面に目を走らせるとハリネズミの死骸がゴロゴロいます。
それと何かぷにゅぷにゅした感じのものが…
上りでスピードが落ちた時、老眼の私もはっきり見ちゃいましたよ、例の触覚を!
ぷにゅぷにゅの正体は体調20cmはあろうと思われる(そんなに大きくなかったかも)巨大ナメクジ!!!
あ〜、私5cm以上のナメクジはNGなんです。正直頭の中がパニック状態で体中の力が抜けていく感じ、
もう、フランスなんて大嫌いだ〜!


そんな状態で走っていると家の前にテーブルを出して子供たちが叫んでいる姿がありました。
「カフィー!」って聞こえたので緊急停車、少しUターンして戻ってくると、
小学生ぐらいの男の子がカップにコーヒーを注いで差し出してくれました。
手袋をはずしてカップを受け取る時に触れた私の手の冷たさに驚いたみたいで、父親に大きな声で話しかけていました。
小さな女の子はパウンドケーキのお皿を差し出してくれます。
コーヒーもケーキもPBPが始まってから食べた最高の味と香りでした。
お代を訪ねると、住所とメールアドレスの書いてある紙をくれました。
ここに手紙をくれということなのでしょう。
できるだけの笑顔でその紙を受け取って、子供たちには用意しておいた『豆まねき猫』を一つづつ渡しました。
最初は不振な顔をしていた子供たちですが、
「いっつ じゃぽね とらぢしょなる きゃっと  でぃす ぽーず いず はっぴー かむいん」
とまねき猫のポーズをすると「はっぴー! はっぴー!」といいながらポーズをまねてくれました。
(当然お父さんが通訳してくれました)
名残惜しいけれど先を急ぐことに、「じゃぽね なんた〜らかんた〜ら!」
と叫ぶ子供たちの声を背に受けて(イタリア語に聞こえた)加速していきます。
もう、ナメクジなんて全然平気になっていました。フランス最高〜!


次のコントロールも直前にかなりの上りが待っていて、最後に足を使わされます。
PC8のタンテニアック(860.0km)に着いたのは午後4時45分でした。
このころになるとコントロールのラックにかかっている自転車はまばらで、
かなりバラけているみたい、コントロールでチェックを受けた後、
まずは大トイレへ、ここは大が5室あるから落ち着いてできそう。
でも、水分摂取が足りないのか、うさちゃん状態になっていて、かなり苦しんで大汗をかきました。
次のコントロールは55km先なので、食事は軽めにバナナとタルトタタン(激うま!)とコーラ、
食事は早く済ませたもののトイレの時間が響いて40分ほどの休憩となりました。


次のコントロールまでも往路と同じ道、しかも明るいうちに走っているのでところどころ記憶がある道です。
この区間も私設休憩所がいくつもありますが、お腹いっぱいなので手を振って通過します。
走りはお尻がむけてしまった関係で平地でシッティング8割、ダンシング2割というところ、
上りはダンシングオンリーです。
道は相変わらず牧草地帯の中を緩やかにアップダウンを繰り返しています。
ほとんどシフトコントロールはしなかったような気がします。
前後は全く参加者がいない状態になりました。
するとコントロールを出て10kmほどのところでオフィシャルのバイクが停車して私の走りを観察しています。
手を振って挨拶して追い抜くと、しばらくしてオフィシャルバイクが追い抜いていきました。
何かまずい走りでもしているのかちょっと心配していると、
またしてもオフィシャルバイクが止まっています。
無理やりの笑顔で手を振って通過します。『ぜんぜん眠くありませ〜ん、問題なしですよ〜』って感じで、
でも心の中では『おれ、かなりやばい走りなのかな…』不安いっぱいです。
頼むから止めないでください、神様〜
そんなオフィシャルバイクとの絡みがコントロールの手前5kmまで延々と続きました。
後で聞いた話ですと、前後がかなりあいている単独走者にはオフィシャルバイクが着くことがあるそうで、
そんなら、追い抜くときに笑顔の一つぐらい向けてくれてもいいのにと思いました。
だって、本当に止められちゃうんじゃないかって心配でいっぱいだったんですよ。


PC9フィジール(916.5km)には午後7時20分到着です。
ここはコントロールと食堂が離れていて、知っている人、覚えている人はコントロールまで自転車で行ってしまうのですが、
私はそんなことすっかり忘れていて、食堂の自転車ラックからコントロールまで延々歩く羽目に…
ここの歩きでかかとの皮がむけてしまいました。
コントロールのスタッフの様子もそうだったのですが、ここにいるフランス人の様子が変…
皆酔っ払っている???
食堂に入るとすごい人の数、食事を取る列も長い列ができてきます。
『村の祭りが始まっている!』直感でそう思いました。
皆さんワインのビンを持って、盛り上がっています。
子供たちもハイになって走り回っています。
部屋の隅の椅子を何とか確保して食事にありつけました。
今回のメニューはアップルパイ×2、小型マカロニチキンソースかけ、フルーツカクテル、ミネラルウォーター
パチンコ屋の中にいるような騒音の中、食事をしている参加者は私一人のよう、
早く食べちゃおうと味わうことなく食事を胃に押し込んでいると、
突然胃が強烈に収縮してきます。
ミネラルウォーターを持ってあわてて外に飛び出すと…吐いた…食べたもの全てをはいてしまいました。
吐いた後に残る臭気にたまらずはき続けます。
どうもフランス独特の臭気にやられてしまったようです。
何の香りなのでしょうか、基本的にはいい匂い系でポプリの香りみたいな感じなのですが、
フランスのそこいらじゅうでその香りがしていて、ここの食堂はその香りが充満していて、
ついに私の身体がその香りに拒絶反応を示してしまったようです。
一旦そうなってしまうと少しの香りでも拒絶反応が出てしまうようで、
口をゆすごうと口にしたミネラルウォーターにもその香りを感じてはいてしまう始末、
地べたにはいつくばったまま、涙が溢れます。
こんなことで、こんなことで終わってしまうのか…
生気を吸い取られたような放心状態で、
それでも息を止めてかける様にして食堂に置きっぱなしにしたヘルメットとグローブを回収して、
外で深呼吸したとたんまたしても嘔吐…もう吐くものないじゃん…


何も考えることなどできない状態で、まるでルティーンの作業をするかのごとくヘルメットとグローブをつけて走り出します。
雨は小雨程度、夜が近づいている感じです。
お腹が空っぽなので何か入れようとパワーバーを口にしますが、
飲み込んでしばらくして感じてしまうあの香りのため、緊急停車して地べたにはいつくばって嘔吐を繰り返していました。
さらにボトルにもその匂いがついてしまったみたいで(もともと香りがついていて気にならなかっただけかも)
水を飲んでボトルをゲージに戻している間に水が鼻から噴出しています。
全くどうやって走っているのか、何度地べたにはいつくばったか覚えていません。
ただ前方20mぐらいをゆっくり走っているフランス人のペアのテールランプの光と、
暗くなってから町々で応援してくださる方々の笑顔だけは記憶に焼きついていました。


そんな状態なのに、というかそんな状態だからか、途中こんな行動に…
往路の看板が突然欲しくなって、ロータリーに三つ縦に並んでいた→看板の取り外しにかかったのです。
自分が何でそんな衝動に駆られたのか、頭の中の状態は全く分りませんが、
まるで第三者のように自分の行動は冷静監視していました。
矢印はナイロンの紐で結ばれているのですが、二重のかた結びで手では解けません。
2mmのアーレンキを結び目に押し込んで何とかはずせました。
看板は結構大きくてバックには入らず、バックの上に紐で括り付けました。
かなり時間を費やしたみたいで何をやっているのだか…


次のコントロールまで後2kmほどにかかるとやっと街中に入るのですがフランス人たちが迷走を始めています。
どうも例年とコントロールに向かう道が違う様子、
GPSをみてもオフィシャルの地図と少しずれています。
でもコントロールの位置はGPSで確認できているので、
「あい はぶ GPS あろんじぃ〜!」なんていって先行します。
残り後1kmの交差点で後から「オ〜マンマニ〜ヤ! ナンタラカンタラ ジャポ〜ネ!」という声が、
たぶん「なんてこった!ばかな日本人を信じたためにミスコースだよ!」みたいな感じだと思います。
かなりむっとしましたが間違えはなし、コントロールに向かっていることをGPSで確認して、
「らすと わんきろめーたー! がたがた言わずについてきやがれ!!!」
しばらく走るとまぶしいくらいの照明とバルーンアーチが私たちを迎えてくれました。


PC9ビレインラジェル(1002.5km)、かなりの雨降りの中0時30分到着です。
自転車をラックにかけていると肩をたたかれ握手を求められました。
やっぱりこいつら真剣に迷っていたのか…


この区間の5時間あまり、結局何も食べられませんでした。
相変わらず例の香りには拒絶反応が強くて、
意を決して飛び込んだコントロールもスタンプを押していただくまででもう限界、
走るようにコントロールを飛び出して、
暗がりのラックと壁の間に胃液を嘔吐、もうこのまま進むしかありません。


走り始めると雨は益々酷くなってきました。
前方にはテールライトが二つ、えっ!二つが重なった?!?
テールライトのところに近づくと、二台の自転車が倒れていました。
落車でした、二人とも鎖骨を押さえています。
やっちまったか…
後続を待っても来る気配はなし、コントロールを出て6kmほどしか走っていないので状況を知らせに戻ることにしました。
途中で参加者に会えるように祈っていましたが、結局コントロールまで誰にも合えず、
自転車を放りだして、コントロールに駆け込みます。
当然言葉は全くだめなので、スタッフの前にあったメモ用紙に、図解説明、
二つの自転車がぶつかる絵、鎖骨を指差しぽっきり折れるジェスチャー、救急車の絵、『6km→PARIS』
通じたみたいでスタッフがあわただしく動き始めました。


コントロールを出ると同じ場所で再度嘔吐、もう吐きなれました。
コースに戻ると事故現場では救急車はまだでしたがオフィシャルバイクが二台到着していました。
何かほっっとして、次の街中のロータリーで自転車を降りて腰を下ろしました。
雨はざーざーぶり、頭の中は真っ白です。もうエネルギー切れなのか、もうじき脱水による痙攣が始まるのか、
ここまで色々あったけれどよくやった方かな、なんて思いながら無意識で一口羊羹をかじっていました。
一口飲み込んで、あれ、気持ち悪くない…例の香りがしない…
全く問題なく食べられる!次から次へと羊羹を口の中に放り込みます。
卵饅頭も大丈夫!食べられます。
後半はこれら和菓子系は全く手をつけていなかったので、在庫はかなり残っています。
羊羹が口の中に残った状態で水を飲むと小倉の香りが例の香りを消してくれて、こいつもOK!
まだ走れる!
雨と涙でよく見えない真っ暗な道をセンターラインだけを頼りに走り始めました。